草創時は浄土系の四宗兼学寺院であったと云われ、その後に律宗西大寺流(真言律宗)の寺院となります。
その頃、鎌倉 極楽律寺が当山の本山であり、奈良 西大寺が総本山でありました。
鎌倉 極楽律寺の開山様であり初代長老の忍性菩薩(良観房忍性 阿闍梨)が入滅された後、当時の願成寺長老であった榮眞律師(圓眞房榮眞 阿闍梨)が、鎌倉 極楽律寺の第二代長老として入寺されています。
また、伝によると上總國守護・久我台城 城主 北條久時公により、久我台城表鬼門鎭護の為に北條氏の氏寺として弘安三年(1280年)創建とも伝わっています。
その後、鎌倉幕府の衰亡、建武の新政、室町幕府成立と衰亡と激動の時代を歩んで行きます。
大永元年(1521)に当時の土気城主の酒井定隆による宗教政策の「上総七里法華」により法華宗に改宗し、中興開山に日誦上人を迎え再興、京都 妙満寺が総本山となりました。
さらにその後、日蓮宗妙満寺派が明治31年(1898)に顕本法華宗に改称され、現在に至ります。
春先になると境内の枝垂れ桜が満開に咲き誇り、見物客で賑わいます。