由緒・略縁起

【創建】

同夢山 願成就寺(以下当寺)は、鎌倉時代の建長元年(1249年)に、北條 長時 公(上總國守護・鎌倉幕府第六代執権・赤橋流の祖)が上總國松之郷に久我台城(古賀館とも)を築城した後、その子である北條 久時 公(上總國守護・久我台城主)によって、久我台城の表鬼門の鎭護の為、弘安3年(1280年)に現在の地に禅宗、真言律宗の寺院として創建されたと伝えられています。
また、その後も久時の長男で、長時の孫に当る北條 守時 公(上總國守護・久我台城主・鎌倉幕府第十六執権)の手厚い庇護の元に隆盛を誇り、広大な境内や宿坊を抱え多くの寺領を有する「七堂伽藍・四宗兼学の大寺」であったそうです。
明治9年(1876年)の地租改正の以前の地方文書にも、願成就寺の所在地の願成地(現在でも小字名、地区名は願成地)が「願成寺」、「願成寺下」、「願成前堂ケ崎」、「門前」などとの記載があります。

 

それを物語るの様に現在、願成地地区(昔は願成寺と表記)に隣接する道庭地区ですが、この「道庭」という地名は「お堂の庭」と言う意味だそうで、古文書などにも「堂庭(現:道庭)」と記載があります。

【変遷】

宗派については、創建当時は真言律宗でありましたが、大永元年(1521年)に当時の土気城主の酒井定隆の政策の「上総七里法華」により、真言律宗から日蓮宗に改宗し、日誦上人が開基となります。さらにその後、日蓮宗妙満寺派に属していた事などから明治31年(1898年)に顕本法華宗に改称され現在に至ります。

【寺号由来】

因みに、当寺は「同夢山 願成就寺」と申しますが、この山号と寺号は創建当時から只の一度も変わった事がありません。この寺号の願成就寺の由来は伊豆國(現在の伊豆の国市)に現存する、鎌倉幕府の北条時政(鎌倉幕府初代執権)創建の源将軍家祈祷所である、「高野山真言宗 天守君山 願成就院」にあやかって命名されたものです。
余談でありますが、平成28年に寺号の由来となった「高野山真言宗 天守君山 願成就院」の御山主様へ、とある檀家さんが当寺についての問合せをしたところ、「同じ名前のお寺が日本全国に幾つか有るのは存じ上げておりましたが、当寺(願成就院)が由来となって名前の付いたお寺が700年以上前にあったとは存じ上げませんでした。」と大変驚かれたご様子だったとの事でした。
開山から730年以上も経ちますので無理も無いお話ですね。伊豆の願成就院さんは、創建以来2度程焼き討ちに遭ったりと相当厳しい時代もあった様ですし、当寺も決して豊かな時代ばかりだった訳ではありません。
今となっては歴史的経緯から宗派さえ違いますけれども、寺号の由来となった寺院とそれを頂いた当寺が揃って残っているというのは、大変喜ばしい事だと思います。
合掌